睡眠が足りないと感情がコントロールできない

不機嫌や不安を抑えられないのはなぜなのか?

病院の当直で眠れなかった次の日は、正直いってわたしも機嫌がよくありません。「睡眠不足でイライラするって? そんなこと当たり前だろ」とおっしゃる前に、もう少し脳科学的にこの現象を考えてみましょう。

イヌやネコ、そして人間にも喜怒哀楽があります。その中でも、恐怖や嫌悪感といったネガティヴな情動と記憶に重要な役割を果たしているのが、「扁桃体」という脳の部分です。「扁桃」とはアーモンドのことで、同じ記憶に関与している海馬の隣にある、アーモンドの種に似たかたちの部分が扁桃体と呼ばれているのです。

人間の側頭葉の内部に位置しています。よく「ものを覚えるときは、感情がこもっているほうが記憶できる」といいますよね? これは扁桃体と海馬とのあいだでノルアドレナリンなど神経伝達物質のやりとりが行われ、記憶の増強が行われるためだと説明されています。

もしも扁桃体がなくなってしまうと、どうなってしまうのでしょうか?動物実験では、サルの扁桃体を切除すると、恐怖を感じなくなってしまいます。
普通のサルは、ヘビを恐れて逃げる習性を持っていますが、扁桃体を切除したサルは、ヘビを恐れずに近づきへどを食べようとします。

恐怖を感じなくなる、まさにターミネーターのようになってしまうわけです。人間でも、脳腫瘍などの影響で扁桃体にダメージを受けた症例報告はいくつかあります。さすがにターミネーターとまではいきませんが、恐怖への反応は健常者よりは低くなるそうです。
情動という暴れ馬をコントロールするのは、前頭前野というところです。前頭前野は、前頭葉の前側の部分です。扁桃体と情動の関係は人間もサルも大した違いはありません。しかし前頭前野は、人間ならではの高次な機能を持っています。

意欲、倫理観、創造力、集中力、くやしいことや腹が立つことがあっても顔に出きずじっと我慢する能力。これも非常に重要な前頭前野のはたらきです。解剖学的には、扁桃体と前頭前野は、神経細胞のつながりが強いことがわかっています。

怒ったり恐怖で怯えたりする扁桃体を、このつながりを介してうまくコントロールして操っている司令塔が、前頭前野といえます。

寝不足のせいで、「感情を抑える」機能が落ちる

睡眠不足だとこのつながりが弱まり、まさに「キレて」くることがわかっています。20007年に「カレント・バイオロジー」誌に発表した論文が、まさにこの事実を示していました。

26人の学生を2 つのグループに分けます。「睡眠十分のグループ」と「睡眠不足のグループ」です。「睡眠不足のグループ」は、ひと晩寝ることはできません。ひと晩中モノポリーなどで遊んでもらい、寝そうになるとスタッフから「起きろ! 」と突っつかれてしまいます。

彼らに、MRIの検査台の上で、不快になる映像を見てもらいます。この機能的MRIによる実験によって、脳のどこが活動しているかがわかります。

見せる映像写真は、戦争でケガをしたひとが血だらけになっている場面、乳ガンの手術跡、などなど。「睡眠十分のグループ」の脳を見ると、扁桃体の反応は強くありませんでした。

しかし「睡眠不足のグループ」では、扁桃体が異常に活発な反応を示していました。さらに「睡眠不足のグループ」では、扁桃体と前頭前野との連絡が遮断された状態になっていたのです。まさに脳も「キレて」いたわけです。寝不足のときは、前頭葉のはたらきが落ち、キレやすく感情的になりやすくなっていると自覚してください。

脳機能的な問題が実際に生じているわけですから、イライラや怒りをそのひとの性格のせいにするわけにもいきません。疲れるとすぐにキレたり頑張りがきかなくなるひとが辛抱強くなる秘策は、経験や修業でもなく、睡眠しかないといえるでしょう。